日本昔話。本番のセンター試験の物理で2割を取っちゃった男の話
こんにちは、もっちーです。
突然ですが、勉強ってつまらないですよね。ぼくは大嫌いです。
さっき資格の勉強をしていましたが、すぐに居眠りをしちゃいました。
ぼくの高校時代もそんな感じで、高校3年生になるまで数学以外の勉強をほとんどしてきませんでした。
なぜか数学だけはちょっとおもしろかったんですよね。
微分が楽しくて、テスト前に問題集を何周もしたのを覚えています。ちょっとした変態かもしれません。
こんな感じでテスト前は、数学だけ真面目に勉強していました。
他の科目はおもしろくなかったので、適当に勉強して赤点をよく叩き出してヘラヘラしていました。
こんな感じで、好きな教科もあれば嫌いな教科もあるのが人間というものです。
基本的に数学以外の科目は全部うんちに見えていましたが、その中でも嫌いだったのが『物理』です。
物理だけは、もう本当に無理でした。生理的に受け付けなかったです。
あ、ちなみに、一応ぼくは理系です。数学はまだ出来ましたし。
でも、物理だけは本当に嫌いでした。
友達にも「お前は物理のセンスが無い」と大好評でした。
授業自体も、みんな寝たり、パズドラが出来るぬるい感じの雰囲気だったので、それもあるかもしれません…。
ぼくも物理の授業は適当に受けて、真面目に勉強したことがありませんでした。
そして高校3年生でちょっと受験勉強を始めたときに、真面目に物理の勉強を始めたわけですが、もうそれはそれは地獄でした。
分からないし、点数は伸びないし、まず生理的に無理だし。
とは言え、
「こっちに来ないで!!」と、距離をどれだけ置いても、
いつかは抱きしめないといけない相手でしたので、それなりに頑張って勉強しました。
そして、いよいよセンター試験本番。
自分なりに努力して考えましたが、自己採点結果は、、、
28点。
確か物理って1問4点ぐらいの配点だったと思うので、合っていたのは7問だけですね。
みんなにも言われることですが、多分勘でマークした方が点数良かったんじゃないかと思います。
むしろ逆に天才なんじゃないかと思いましたね。なぜか誇らしかったです。
ぼくは当時、関西の国公立の教育大に行きたかったのですが、どこもボーダーを切っていました。
ぼくは、塾長にどうしようか相談しました。
ぼく「やっぱり、どこも行けないですよね…」
塾長「試験で9割以上取れば、まだいける。ここは数学しか試験無いし、いけるかもしれない!」
ぼく「分かりました!受けます!」
塾長「君が受かれば、これから一生君の話を生徒にする。」
と、励まされて無謀な挑戦をしたのですが、結果惨敗でした。
そりゃ9割以上ってなかなか狙って取れるもんじゃないですからね。
そんなこともあり、現役時代は破滅に終わり、そのまま浪人時代を迎えます。
浪人時代は、真面目に物理と向き合いました。
というか、まずは物理を克服しないとヤバいですからね。
めちゃくちゃイケメンで高身長なのに、鼻から鼻毛があり得ないほど出ているとでも言いましょうか。
一つの欠点がでかすぎて、他じゃカバーしきれないんですよね。
そして物理の成果はというと、カリスマ講師たちの指導によって、何となく解き方や意味が分かってきました。
ぼく「すごい…!見える、見えるぞ!」
と、当時は興奮しながら言っていましたね。テスト中に言ってたらアウトですけど。
こんな感じで、物理はある程度理解出来るようになりました。
苦手意識はありましたが、何とか6割ぐらいは取れるようになっていた気がします。
そして本番は、24点でした。
前世のぼくは、もしかしたら物理に何か悪いことをしてしまったのかもしれないですね。
他は現役時代よりも伸びている科目がほとんどで、行きたかった国公立のボーダーに届きそうな感じでした。
しかし、物理の点数を足した瞬間、
「滅。」
と、崩れました。
自己採点結果が終わった翌日に、予備校の担任の人に結果を伝えに行きました。
担任「センターどうやった?」
ぼく「やっちゃいました!国公立は諦めます。」
担任「おぉーそっかー。でも、教育大に行きたいんよね?」
ぼく「そうっすね。。なので、この点数じゃ厳しいかと。」
担任「でも徳島にも教育大があって、海も近くて良さs」
ぼく「嫌です。」
と、ざっと省略するとこんな会話をして、そして私立専願で受けました。
私立は何とか合格して、そのまま国公立の勉強はせずに受験勉強を終えました。
確か2月中旬ぐらいに勉強生活が終わったので、1ヶ月ぐらいずっとゲームをして過ごしました。
親には、
「ニートってこんな感じなんやな…」
と、何かを悟られたりしてすごく申し訳なかったです。
とにかくもう物理はこりごりです。
ではまたー。